「鬼の子寺子屋」塾を開校しようと思った理由
僕が鬼の子寺子屋という塾を作ろうと思った理由についてお話します。
何故かというと色々あって、子供たちに可能性を見せたかったから。
というわけで、ちょっとした昔話をします。
僕の疑問は小さいときから大人たちを見てきて、楽しそうな大人が居ないのではないか?と言うところから始まります。
それが顕著に気づくようになったのが大学に入ってからです。
思えば、僕も大学に入ってからオンラインゲームでチャットをするようになって、そこで初めて周囲の会話が可視化できるようになったのもあり色んな情報が入るようになりました。
集団の会話がわかるというのは聴覚障がいをもって生まれて初めてのことで、集団で会話ができるという楽しさにハマりチャットを通じて知り合った人と話をしたり、いろんな話を聞いていました。
当時は大学生ですから大人と言われる人たちの経験談もとても勉強になるところが多かったです。
それ故、現実での会話よりチャットに比重をかなり割いていたので留年してしまいました(笑)
でも段々と大学の卒業も近づいてきて、大人と言われる人たちと会話をしてもゲームの話以外だと大体は仕事の話だったりします。
仕事を楽しそうにしているなら良いのですがそうではありません。
ファーストフード店でアルバイトもしていましたが、大学を卒業してもこのアルバイトを続けている人が多かったのです。
それも何か目的があったり、楽しいからやっているのであればわかりますが、どうやらそうでもありません。
この時点で少し違和感がありました。
色んな人に「何故その仕事をしようとしたのか」と聞いても「それが好きだったから」という回答はありませんでした。
僕自身、釈然としなくて「じゃあやりたくないことなのに、何でやってるの?」と思っていました。
両親も、引き継ぎたくもない会社を継いで、資金のやり繰りに苦しんではぼやいていたのを見てきています。
苦行を強いられているように見える。
皆がもし本気で、辛いことをやりながら生きていかないと思っているのだとしたら、これではまるでカルトな宗教じゃないか。
そして卒業後、会社に勤めるようになって、2~3年たったころに上司と面談をしました。
「仕事はどうだ?」と聞かれたので建前ですが「楽しくやらせてもらっています」と答えました。
そうすると、「そんな気持ちでやってるからダメなんだ。仕事は辛い、しんどい、と言いながらやるものだ!」と一蹴されました。
こんなことが言えたら良かったですね(笑)
そのあと説教のようなものが少しあって、何を言ってるかはわからないけど、とりあえず「ハイ、ハイ」と頷いたのは覚えています。
取締役がこういうことを言いだすのもおかしなことだし、それに対して周囲も疑問に思わず同意している始末です。
周囲の人の話を聞いてもおべっかなのかはわかりませんが〇〇取締役は凄いよ、とかわかった気で話しているのが気持ち悪いとも思っていました。飲み会でも愚痴か他者の悪口です。
でも当時は僕のほうが少数派でしたので「自分はおかしいのかな」と鬱になるのは当たり前です。
そうしているうちにこの先の人生どうなるんだろうという想像ができてしまいます。
年老いてもこのままなのかと。
昨今の自殺率は年間何万人も増えていて、そうなるのも不思議ではありません。
むしろ、否定する理由が無いのです。
同じ境遇に生まれた友人も自傷行為を繰り返しては毎日「死にたい」と話していました。
それも「そうやなぁ」と聞きながら、「死んじゃだめだ」と言う理由がありませんでした。
世の中思い通りにならないなら、生まれてくるのは選べないなら死ぬ時期は自由に選んで良いじゃないか。
苦しいのに頑張って生きるのが美徳って意味わからない。
障がいがあるなら、尚更学ぶにも人の手間をかけてしまうし、自分自身も人の3倍以上は時間がかかってしまう。
中学時代から「周囲を見ろ」とも言われ続けていましたし、周囲の話していることがわからないので必然と空気が読めない子になり、虐めの対象になることもありました。
僕は何のために生きてんだ?そう思って生きていました。
それでもできることはやってやろうと思っていました。
まずは人生を思い通りにできる力を手に入れようと。
できなかったらそのときは諦めて全て手放せばいいじゃないか。
ある意味吹っ切れてもいました。
大学時代から、焼けつくような喉の渇きを潤すように、何でも良いから力が欲しいと思って、とにかく本を読んでいました。
力が欲しくて、感情をできるだけ排除して学んでいたような気がします。
学業とは関係ないジャンルでしたが、自分に必要だと思ったことをひたすら学びました。
突き抜けるまで感情は不要とも思って生きていました。
(今思えば、間違いでしたが…当時は負のほうが強かったのでそれはそれで良かったのかもしれません)
大学時代はオンラインゲームと読書で構成されていました。
読書をしてはオンラインで色々試してみる。
そうしてある程度コミュニケーション能力を鍛えてきました。
人それぞれ過程は違えど、何かが苦しくて全国で自殺率が増えていること。
大人たちが楽しそうではなかったこと。
先生と呼ばれる人たちがどういう大人だったか。
そういうのを見てきて、未来に希望が持てない人ってたくさんいると思います。
でも、人は何でもできるということを知らないだけだったら?
それを知らないままこの世を去るのはとても勿体ないな、と思います。
知ってから選んだって遅くないじゃないか。
可能性を教えられないまま普通に生きていたら、生きることへの敷居が高いように見えます。
社会に馴染むように、皆で同じ服を着て、同じ時間に通勤して、同じように残業して…
少しの休暇を楽しみにしている。
今の日本って好きなことをやろうとする敷居がとてつもなく高いように見えます。
自由に生きること、自由な人生を諦めていませんか?
でも実際は自由に生きるための敷居が低いのだとしたら?
今までどうしても壊せないと思っていたコンクリの壁が実は発砲スチロールのブロックだとしたら?
好きなことで生きるのはめちゃくちゃ簡単だと思いませんか?
自由に生きる敷居はかなり下がると思いませんか?
あなたの心が軽くなると思いませんか?
そんなブロックすぐにぶち破って可能性のある世界に駆け抜けたいですよね?
僕は幸運にも、良い出会いがあり、人は何でもできる無限の可能性を持って生まれていることを知りました。
こちらの記事でも触れています。
▶広島合宿の奇跡
子供たちには何でもできる可能性を持って生まれてきていること、人生を思うようにデザインして楽しんでしまえることを知ってほしいのです。
塾という手前、子供に教えることがメインになりますが、大人たちも学んでいってほしいと思っています。
僕らも学び続けるし、かかわりがある人全員一緒に学んでいきたいと思っています。
これから作ろうとしている塾は、「成績アップ」が目的ではありません。
やりたいことが見つかれば、結果として学校の成績は上がるかもしれません。
というか上がらない理由は無いと思います。
僕たちは普通の塾を作る気はありません。
学校のお勉強はあくまで手段です。
勉強を学ぶ過程の中で、色んな考え方を身に着けてほしいわけです。
まだ何も知らない子供たちから、世の中が見えてきて少し疑問を持ち始めた子供たち、はたまた人生に少し疲れている子供たちまで、教えていきたいと思っています。
世の中がおかしくてあなたはおかしくないんだということ。
世間の常識なんてさっさと置き去りにしてしまえと。
世間の常識から外れた子は鬼の子かもしれません。
でもそっちのほうが楽しいことになります。
本来、もっと面白いことがたくさん転がっていること、本来何でもできる力を持っていること。
可能性に満ちていること。
皆が空海やアインシュタイン、はたまたダヴィンチのような天才性を持って生まれてきていること。
そういうことに気づいてぱぱっとやりたいことをやってしまって良いんだと。
言葉にすると簡単かもしれませんが…自分の人生は自分で創り上げることができるんだと。
そして僕たちと寺子屋で一緒に学んでいって、自分で学んでいく力をつけて、やりたいことを自由に創造して生きる術を身につけて欲しいと思っています。
そういう人が増えていけば、どんなことが起きるのか想像もつきません。
すっごい面白い世界ができるんじゃないかと今からワクワクしています。
鬼の子寺子屋で考え方を学ぶことができたなら人生がかなり面白くなることは絶対に保証できます。
僕たちと一緒に自由に生きる術を学びませんか?